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  西村屋(H.N)
個人サイト:http://homepage3.nifty.com/nishimura_ya/

 
   
   小澤さとる69才、画業50周年というのは、40年前、小学生だった私が「サブマリン707」に夢中になっ たことを思えば当然過ぎる年月であり、しかし、4年前、初めて小澤先生本人に会って以来、先生と交流してきた印象からすると、そんな大ベテラン、お年寄り という気がしない。ちょっと歳の離れた兄貴という感じか。

 頑固で偏屈なところもあるが細やかな気遣いに恐縮させられることも多い。仙人 のように質素でもある一方、お洒落でもある。そして雄弁である。雄弁すぎて作品を描かなくとも満足しちゃうのではないかと心配するぐらいだ。しかし仕事に 突入してからの馬力は凄い。寝食がなくても平気なところは原子炉を搭載しているかのようだ。

 アイデアは今や溢れ放題である。707Fの時など読者が追いつけないほど暴走することもある。先生は今、描いて発表したいのである。未発表の物語が溜まりに溜まって爆発しかけているように見える。

  絵はますます素晴らしい。優美な気品ある曲線美と、その下にちゃんとした機能が隠れているかのように思わせてしまう小澤メカ、それだけでも小澤作品の真骨 頂であるが、メカだけでなく、メカを取り巻く自然、風や波や生き物たち、そしてメカを動かす人間、それらを含めて小澤先生の描く絵は1枚の優れた絵画であ る。先生の絵は、今は亡きチーフアシスタント増田眞吾さんのほか、出版社が連れてくるいろんな助っ人が手伝ってきたようだが、明らかに一人で描いたと思わ れる作品を見ても、今現在も美しく進化し続けている。

 1965年、「サブマリン707」ジェットストリーム編で原子力潜水タンカー<フ ロンティア号>が潜航を開始するシーン、首の長いセイルのうえにブリッジが乗っていて、ブリッジだけを海上に突き出して進む姿は、10才だった私にとって まさに未来そのものだった。その年、アポロノーム編でいよいよ707が活躍というところで突然の休載。再開を今か今かと待ち望んだ日々はすっかりトラウマ になってしまった。1967年、ついに待望の「青の6号」連載。青のドームや宇宙ロケットのようなコーバック号が登場する。サンダーバード、シービュー 号、スティングレイを凌駕するカッコいい海中の世界に痺れました。

 ところがその連載は10ケ月で終わり、私の飢餓時代が長く続くことに なる。その間にも「冒険日本号」や「サブマリン707」の単発ものなど小澤潜水艦作品はあったのだが、自由にさまざまな少年誌を買える身分ではなかった。 実は当時、先生は本職のかたわらに漫画を描いており、やがて十二指腸潰瘍の悪化で執筆作品数が激減。ロボダッチの考案と大ヒットの中、玩具調査を兼ねた6 年間のドイツ生活ののち、1983年に交通事故で3年8ヶ月もの半身不自由な状態から奇跡的な回復・・・。という波乱万丈の人生を送られていたのだった。

 1987 年、復活後の再出発作品である「黄色い零戦」を店頭で手にして、交通事故の事実を初めて知ることになる。その後、91年「サブマリン707F」、97年 「AO6 青の6号」と前田真宏監督OVA「青の6号」のコラボレーション、瀧乃家サイトでの新作公開、そして2003年の増尾昭一監督OVA「サブマリ ン707R」・・・と小澤さとる作品は再評価されつつあるものの、私たちの世代が受けたトラウマはまだまだ解消されるに至っていない。

 何が不満かというと、手塚治虫、横山光輝、石ノ森章太郎、松本零士などTVアニメ化され世の中にその名が知れ渡っているのに比べ、当時、それらの作品よりもはるかに夢中にさせてくれた小澤さとるが、いまだに埋もれた天才漫画家であるということである。

  何がその差なのかといえば、人気絶頂期にTVアニメ放送がなかったという違いではないだろうか。40年前、TV放映直前だった707アニメのフィルムが何 者かに持ち逃げされてしまったという。そのほか、小澤先生が副業としての漫画家であったが故に、編集者の我侭に耐えて出版に漕ぎ着ける執念が不足していた とか、増田眞吾さん亡きあと、チームで作品作りすることを拒まれてきた故の力不足なのか・・・。私には出版社・編集者側に小澤さとるという作家の力を引き 出す力が乏しいとしか思えない。

 小澤先生はいまだに成長期にある青年である。私は先生の描く海と潜水艦と人間の物語をまだまだ読み足らない。未完成漫画家、小澤さとる次の作品が発表されるまで待ち続けようと思う。