私の自信なんざ薄っぺらでござんす。
2020.05.19
出前のつぶやきで少し話した。
40年前に出前先のヨウコさんにウドンがマズイと言われ
○○の店に行ってごらんよ!と驚きの発言は私にとって最大のエールでした。

12月31日大晦日の最後の蕎麦を食べたときはヨウコさんへの答えは
何とか頑張って作り終えたような気がしました。
1400円ほどで妹2人と私たち夫婦で4人の年越しそば。
家庭用の鍋で簡単に作り1分ほどの茹で時間。
お客様と同じくするために実は妹に作らせてみたんです。
切れることは全くありませんでしたし十分に美味しかったです。
生蕎麦をずっと売り続けていた少しの不安を最後の蕎麦で振り払いました。

そしてヨウコさんにもやりました!と言える気分でした。

先日、友人のFさんの蕎麦を見たのです。
いつかは食べる、食べさせてもらうとは思うのですが・・(笑)
Fさんはすばらしい蕎麦を打つのです。
全く切れる気配がない蕎麦です。
水回しが完璧です。
初めての蕎麦粉を使って切れない蕎麦を作るって結構難しいんです。


はっきり言って参りました。

聞けばFさんの作る量は500gと言う少ない蕎麦粉
そんな少ない粉で打つと水回しの水分量は誤魔化しができません。

おちょこ一杯の量の違いで繋がる蕎麦か切れる蕎麦かになります。
しかもアマゾンで買った北海道産の粉だそうです。
私には到底不可能で真似のできない芸だと思います。
つまり私が打つと失敗する確率が高い気がするちょっと自信がありません。
粉によって打ち景色が全く違いますから本当に本当にすごいことです。

ある鎌倉の手打ちそば屋の切れ切れの蕎麦です。



本当にヨウコさんにやりました!って胸を張れるのか!お前は・・(笑)

立場はそれぞれ~(笑)
2020.05.14
蕎麦屋と言う業種に携わってみて本当に特殊な商売だと思う。
大企業には絶対になれない業種です。

傷だらけの人生という歌がありましたがまさにあれです。
古い奴ほど新しいものを欲しがるもんでございます。
何から何まで 真っ暗闇よ
全てがこの2行でございます。

美味しい蕎麦イコール手打ちそばと刷り込まれてるかと思います。
蕎麦には手打ちそばと機械打ちそばの作り方があります。
手打ちそばだって下手に作れば最大にマズイマズイ蕎麦になります。
そもそも手打ちそばだとか機械打ちだとかを差別化を計るのは誰でしょうか?
蕎麦屋自身です。
機械打ちの登場は大正末期もしくは昭和初期です。
手打ちより衛生的である機械打ちが主流みたいな感じです。
新しもの好きな日本人は飛び付き機械打ちの流れになります。
もう一つ機械打ちの特長は水分が少な目で蕎麦を作ることができます。
水分の少な目の蕎麦は茹で時間長くなりますが蕎麦の天敵伸びを押さえます。
つまり出前に向いた蕎麦ができます。
戦前は機械化と言ってもモーターを使わず手動で機械のローラー&刃を回していたと聞きます。
戦後、モーターがついて本格的な機械打ちが始まり出前の需要を作り手打ちそば屋が少なくなったようです。
出前に適した蕎麦に対し水回しをしっかりとできる手打ちそばは一度には大量に作れませんがやはり美味しく出来ます。機械打ちでもしっかり水回しをして打ち粉振る作業をすれば手打ちには負けません。
しかしながら
昭和40年過ぎ辺りに手打ちそばこそが本格的な蕎麦であるみたいな風潮がでました。

出前向きの蕎麦は蕎麦粉の割合は半々もしくはほんの少し蕎麦粉が少な目の方が美味しくできます。
蕎麦の表示は蕎麦組合では蕎麦粉を50%以上入れる方が好ましいとか言ってます。
駅そばやカップ麺の蕎麦は蕎麦の表示は好ましくないというスタンスです。
しかし50%は無理なんで公式的には
全国製麺協同組合連合会では、そば粉30%以上、小麦粉70%以下の割合で混合した原料を用いたものを日本そばと呼んでいます。
食べて美味しければ良いわけだし、小麦粉100%のラーメンやうどんに国産か外国産とか気にします?
国産の小麦粉を使ったら日本ラーメンなんて言ったらバカみたいです。
蕎麦の表示は認めるけど日本蕎麦を名乗るなら蕎麦粉を30%以上入れてねみたいな感じです。
アホみたいです。

蕎麦粉国内生産量は僅かなものです。
安価な蕎麦を提供可能にしたのは中国産、北米産の蕎麦粉があるからです。
日中国交復興の貿易の目玉の一つが蕎麦粉の玄蕎麦輸入です。
今と違って中国からの輸入品目ってそれ程多くなく蕎麦粉はいい塩梅でした。
必要量があってしかも安く品質も良好ですから・・
蕎麦屋にとっては打って付けです。
あの時代に中国産の玄蕎麦の輸入がなければ蕎麦屋の半分は廃業していたと思います。
もしかしたら中学生の頃一家路頭だったかも・・(笑)

それが手打ちそば屋や老舗かは知りませんが
手打ち蕎麦が一番、やれ二八蕎麦だ、やれ国産だ!とそんなもんを売りにしてます。

美味しいね~って手打ちでしょ!とか
手打ちを褒め言葉みたいに使うお客さんがいらっしゃいます。
同じように蕎麦粉は北海道産、長野産でしょ~と聞く方もいます。
国産の混合粉と北米産を使用、機械打ちと答えると
悲しそうなお顔でお帰りになります。
おもてなしを考えれば嘘をつくべきなんですが、できる嘘とできない嘘がありますからね
仕方がありません

つまり 足を引っ張ったり壁を作ったりするのはいつも古くからの蕎麦屋や組合

江戸時代から続く老舗の店からは10年20年は鼻たれ小僧と言われる世界。
蕎麦屋の考え方では企業にはなれません
唯一企業にまで成長した蕎麦屋は駅そばの富士そばですかね~
手打ちそば、二八蕎麦、国産、そんなもん糞くらいでお客の立場だけを考えて商売をしてます。

30代の頃、美味しい蕎麦を作ろうとすれば出前には不向きになり結果的には出前では出来の悪い蕎麦を提供することになります。
せっかく店も綺麗にしたんだし店売りを中心に蕎麦をと思うのだけど売り上げは出前の方が3倍から4倍。
42歳で父が他界し45歳で職人さん70歳を越え辞め出前を止める決断。
売り上げは見事に1/4になり固定費は上がりっぱなしで・・(笑)
出前のお客様が店のお客様になって頂けるまでのハードルは高いです。
便利だから注文するのであって美味しいから注文するお客様の少なさに心情的に愕然。
これが現実であり仕方ないと新たなスタートでした。

瀧乃家の蕎麦は美味しいねと認知されるまで頑張ろうと思ったのです。
12月31日大晦日の生蕎麦の数に自分では目標を置きました。
100キロの蕎麦粉を打つを目標にしました。
生蕎麦は160食ほど作りました。
生蕎麦1食で3人~4人分はありますので店売りと合わせれば500人ほどの方が瀧乃家の年越しそばを食べることになります。
小さな蕎麦屋ですので100という数字は中々ね~
3年前から余ってもいいからと作り100キロ完売したのは良かったけど完全に腰が悲鳴を上げ寝正月。
最後の大晦日は店売りを止め70キロを練り上げて店仕舞い。

月日の経つのは早い。。

出前
2020.05.13
父が下落合の地で商売を始めた理由の一つは菓子業では金銭的に子育てが厳しいことからです。
つまり子育てが第一です。
商売にとって下落合の地はどうなんでしょうか?
会社の町と言うより住宅地です。
当然ながら店売りより出前中心の店としてやると決めて出店しました。

出前の範囲は城下町のようだと常々父は言ってました。
他店の蕎麦屋の範囲には出前をしないが第一条件で、
最初に決めた範囲は何があっても守るでした。
父が決めた範囲は元二睦の氏子の範囲でした。
初めて町ですから知らないとは思うのですが商売人としての優れた嗅覚でしょうね
ポイントとしては、隣の郵便局さん、落合第四小学校、落合中学校、坂下のホヤガラス。
この4つは要、重要ポイントだと決めてたようです。
とくに学校は配達するだけで宣伝になると言ってました。
しかも信用されてると・・
まぁ、その分私の悪ガキが足を引っ張るのでトントンでしょうか(笑)
困ったものです。

時代は移りそれら重要なポイントが全て失われました。
私の力不足と言えば力不足なのかもしれません。
会社では社員食堂が出来て出前禁止令が出され、社長室のみの配達だけになったり・・
社長に届けるとあの坂道を社員さんが上がって来て頂けるんですよね~
社長交代があればやはり出前はストップされますし、第一出前禁止令を出してるのは社長自身なんだし。
近年では中落合から西新宿へ本社が移転されたそうですから益々繁栄をお祈りをしてます。

郵便局は配達部門を上落合へ移し人数が1/10になり出前そのものがなくなりました。

小学校中学校はあの神戸のさか○○ら事件以降関係者以外立ち入り禁止になり出前を取らなくなりました。
そんな事件が起こる昔に古狸と言われる先生から出前を取る理由を聞かされました。
その中の一人、鷲峰先生ですが私の妹の先生でした。
噂で中学校が少し荒れてた時期がありました。
おい、ヤスオカ、ボーっと出前をしてるんじゃないぞ、
なぜお前とこから出前を取ってるか分かってるのか?
お前がここの卒業生だよな~
お前が毎週ここに配達するってことは生徒はお前の顔をしっかり覚えてるんだ。
だからな!お前はな!出前の途中で生徒が悪いことをしたらしっかりと注意できるんだ。
生徒にお前の顔を覚えさせるために俺は出前を取ってるんだから・・。
注意するんだぞ!頼んだぞ!
事件後余りにもすごい事件でしたから学校配達が来なくても仕方ないとは思ったけど
いきなり締め出された時はさびしかったなぁ~

K塗装の親父さん、私の大好きな親父さんでした。
K塗装の配達は苦労しました。
12時きっかりに持って来い!最大であり最悪の要望です。
みんな12時に食べたいじゃないですか・・
でも、12時と言うのは大切なんじゃぞヤスオカくん
K塗装親父さんも私の同級生の親御さんです。
ウチのような零細企業の宝は従業員だ。
12時きっかりに昼ご飯を食べさせて1時までゆっくりと休ませてあげたいわけだ。
これが12時半に持って来たらゆっくりと食べることもできないし休むこともできない
しいては事故の元だ。
だから頼むぞ!
残念ことに同級生の息子はいい奴なんだろうけど理解不足だ。
自分のマンションへ配達を頼んだことがあって、瀧乃家の配達外だから断ったんだけど
友達だから頼むよ、息子が風邪ひいてるから尚更と・・
では、空の器はK塗装に朝持って来てねと言う約束で配達しました。
案の定いうか空の器はマンションの玄関に出されてました。
約束が違うと言うと彼は客だから当たり前だろ~とお前の仕事を仕事をしっかりしろと・・
私の仕事は配達外に配達をして信用を失うことではない!だから断りをした。
貴方が友を口にしたから友としてK塗装へ空の器をお願いしたんだ。
初めから客としてなら断ってる話だ。
そんな痴話げんかのような話も親父さん笑ってやったんだってな~の一言
亡くなって4年か・・。
親父さんに感謝です。
事務所での二言三言の会話懐かしいです。

あと忘れちゃいけないのがヨウコさん
たしか不動産関係事務所で働いていた女の子です。
その女の子一言がきつかった~
瀧乃家さん、うどんがまずいよ~
40年前の話です。
その時代はまだまだ貧乏な時代で食べれれば良かったね!ですよ
特に出前にそんなことを言うなんて驚きでした。
確かに世の中、手打ちそばが美味いと言う風潮が出始めたころ。
その一言から蕎麦との格闘が始まったと言って良いでしょう。
自分が美味しい蕎麦を作ろうと思えば思うほど出前には不向きな蕎麦になる。
この話は別のつぶやきで
とにかくヨウコさんには感謝です。


出前では多くのことを教わりました。
出前は相手の台所、懐へ飛び込むわけですから先ずは信用がなければ始まりません。
その信用も自分の知らないところで一夜で失うことが多いのです。

今コロナ騒動で出前が見直されてます。
配達する気持ちになって出前を取ってください。
エレベーターが止まってるときは時間をずらして取りましょう~



運命
2020.05.11
店を早々長くは続けられないなぁ~と考え始めたのはやはり人手問題。
募集しても来ません。
多くの蕎麦屋の後継ぎはサラリーマンになっております。
これでは蕎麦屋の店主自体が魅力のない職業だと認めてます。


夏に入りクーラーをかけて店内掃除をしないと死んでしまいますとパートさんの意見がありました。
夏からは外の掃除は私がやることにしました。
結果的に12月に閉店することになりますから外の掃除は神様のプレゼントでした。
店の前の掃き掃除、気持ちが変わったのは台風のある光景を目にしてから・・・。

明治神宮へ台風15号の翌日に御朱印帳を頂きに行ったのです。
なぜそんな日に行ったのか行こうと思ったのか分かりません。
目にした光景は緑の絨毯、わ!きれい~

でも人の歩くとこは・・。

本殿に近づくと緑の絨毯はありません


もちろん本殿にはいつものように塵一つありません
私の到着が10時頃ですから、何時頃から境内の掃除を明治神宮はやってるのだろうか?
あの広さを思うとすごいパワーです。
そしてパワーを貰って掃除も楽しくなったのです。

ウチの前には大きな栃の木があります。
毎年毎年この落ち葉は栃の木と格闘です。

落ち葉は夏の日差しを助け、綺麗な空気にしてくれた残りです。
そう思えば感謝しかありません。
来年も助けて下さいと・・。
ところが、11月末1枚の紙が栃の木に張られました。
大きくなったため伐採すると・・。
そうなんだ~
来年は瀧乃家と共に育ち見守った栃の木がなくなるのか~
瀧乃家の閉店は抗うことのできない結末だと運命メッセージだと納得したのです。

ならば真面目に閉店をしなければなりません。
最初に思ったことは長年お世話になった栃の木への感謝。
地元の神社氷川神社へ行き相談したところ、
木の感謝も大切だろうけど閉店を考えてるなら閉店の義を行った方が良いでしょう~
そんな義があることさえ知りませんでした。
全て何かに導かれてるような感じです。
神主さん曰く
閉店の義には多くの人が集まる方が良い。
基本的に八百万の神は賑やかさが好きなようです。




お陰様で身内が集まって閉店の義を見守って頂きました。


その後伐採が始まり根こそぎ持って行かれました。



切ったばかりの年輪ですが、木のぬくもりが忘れられません。
先人たちに
2020.05.10


藤の花の香を全身に浴びたことが皆さんありますか?
香のシャワーです。
花の満開時期より少し終わり時期の方がシャワーは強いです。
ソメイヨシノは匂いはしませんし梅もほのかですし
実の成る木が猛烈な香りしない理由があるのかもしれません?
それほど藤の香りは強烈です。>良い意味です。
今年はコロナ騒動で藤を見にあしかがフラワーパークには行けません。


https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58595690Y0A420C2ACYZ00/

この写真を見て色々思うことはある。
あの藤の花を切るなんてコロナより人の怖さを思い知った。
ありえない。ありえません。
人は自然と共に生きるって言うけどそもそもそれが違う。
農耕は反自然だし、自然をコントロールして初めて収穫できるのだから
そこが人間の大きな大きなおごりではないかと思う。
有名なとこではナイル川上流に作られたアスワン・ハイ・ダム。
氾濫するナイル川があってこそ豊かな土壌が生まれたはずなのに氾濫がなくなり生活は楽なはずだけど
土壌は枯渇し田畑は死んでいく。
そして今やもっと上流地のエチオピアでのダム建設があってエジプトの死活問題になってるそうです。

日本は自然災害の国と言っていいかもしれません
自然災害と上手く付き合い方を知ってる国?
八百万の神ですから・・・。
昔々、初めてコメを食べるとき人はどうだったのでしょうか?
もしこれを食べてたら死ぬかもしれません。
先ずは鳥や小動物が食べてるのを見て命懸けの挑戦をしたに違いありません。
そしてずっとずっと長い長い年月を掛けて少しずつ美味しいお米を収穫量の多いお米を作りました。
それが机上の計算の役人の策略でやれ減反だ!太陽光発電の方が儲かるでぇ~で田畑をぶっ潰す!
私の考えではどうしようもないお役人文化の国であっても最後の砦は農業に携わって方々だと思います。
だから残念にと思ったのは青首大根の登場ですかね~
お百姓さんの知恵なんですかね~これは
最後まで土をかける労力を省き大根を抜くのも労力半分、これ一石二鳥と言わずなんと言う。
大根は太くて白くなくてはいけません。
めんどうでも最後まで土を盛りましょうよ
どんなに良い大根を作っても機械化でバッサリと切られていくコンビニのおでんの大根を思うと
もう今やどうでもいいけどね

父が昔言った話ですが、
蕎麦はマズイモノ。
もし美味かったら日本人は米を食べずに蕎麦を食べてる。
細くて美味しい蕎麦を出してるのは先人たち工夫の賜物である。
だから余計なことを考えず、愚直に蕎麦を作れ!と・・
感謝
2020.05.08
この惑星では働かないとさぼれない。
このボスCM、心にしみるわ~
私の場合はさぼる資格もなく単に怠けていたと思わざるえない。




思い出すのある大雪の日、これでは商売にならないと店を早仕舞いしたことがあります。
せっかくだからと久しぶりにと友人と遊びに出かけた。
その友人に坂の途中で「いいのかい!ずいぶんと嬉しいそうだな~」と言われた時の
何とも言えない自分の心の中での恥ずかしさ!
その日のことは坂の途中から一切記憶がない。

新婚気分が抜けないころ、ちょっと風邪気味で休もうなんて勝手に思い、嫁さんだけ瀧乃家に行かせた。
寝込むほどじゃないから行こうと思えば行けたのに・・・・。
そんな時に限って、瀧乃家が火事になるとは・・。
ずっとずっと怠けてきた人間がツケが回る恐怖を知ったわけです。
もう遅いです。
三つ子の魂百までと・・・そうそう変わるわけでもなく。
恐怖だけがあるんです。
それを支えてもらったのが嫁さんと単純なんだけど奥深い蕎麦作りでした。

瀧乃家を閉店する際、長い長いさぼる時間を皆様に報告しなくてはなりませんでした。
ずいぶんと悩みました。
特に三人の御方への報告は辛かったです。
梅原さん、岡崎さん、大野さんの御三方には感謝の言葉もありません。
梅原さんは瀧乃家の字を書いて頂いた恩人です。
有名な書家であり息子さんとは私と同級生でもありました。
瀧乃家が火事になり1年後再スタートをする際、これからはお父さんからあなたの時代になるからと仰り、
梅原さんの方から申し出がありました。。
梅原さんの温かい気持ちから町の蕎麦屋にとって不釣り合いなほどの素晴らしい字が誕生したのです。
心に誓ったことは梅原さんの目の黒いウチは看板を下ろさない!頑張ろう!でした。
現在梅原先生は96歳で大いに元気です。
そして心に誓ったことが守れず報告しなくてはなりませんでした。
梅原先生は「これからさびしくなるな~」の一言は胸に来ました。
岡崎さんは私が出前をしていたころからの古い古いお客様で瀧乃家を私を見守って頂きました。
閉店する気持ちがまだまだ先の頃、少し弱音を吐けば「罰当たり目」と叱って頂きました。
その言葉があればこそ12月まで頑張れました。
岡崎さんからはあるトレーナーをもらいました。
トレーナーには「Finisher」と書かれてます。
フルマラソンの完走者という意味であり人生の成功者と意味があると・・。
勿体無いです。
大野さんは優しさの塊のようなお客様です。
私にとっての御三方は恩人であり父みたいな人です。
恩返しってできるのかしら・・?



12月31日商売最後の日、大野様からは大きな花束を頂きました。
トレーナーは岡崎様からのです。

DNA
2020.05.05
菓子業から蕎麦屋へのキッカケは駅前の西友ストア。
今や町にスーパーマーケットがなければ町として成り立ちません。
昔はどうでしょう~?
電気事情も今とはずいぶんと違います。
冷蔵庫も家庭に普及してません。
となれば町の知恵として近所に多くの店を持つことです。
私が小学校5年の時、1970年下落合にピーコックストアが初のスーパーマーケットが出店した。

ピーコックストア前の信号から聖母病院入り口前の信号の3つ分の信号約600メートルほどの間に。
八百屋さんが8軒、お肉屋さん6軒、町の市場のマーケットが二つ。
活気あふれる町でした。
その後、土地バブルの影響もあったとは思うけど全ての個人商店がほとんが廃業しました。
あっという間でした。
今では新たに大きなスーパーマーケットができ、コンビニが2軒なったり3軒なったり。
買い物には一度も不自由したことがありません。
ただ蕎麦屋にとっては目利きある八百屋さんがなくなったのが痛かった。

スーパーマーケットの効率的な商売を鑑みれば個人商店など太刀打ちなどできません。
ところがお茶屋さん、
スーパーの棚の1列ほど使ってるんでしょうか・・?
その上下棚には珈琲や紅茶を扱ってます。
普通に考えれば、スーパーのたった一列棚に一家族の生活が掛かる商売って・・・。
淀川長治じゃないけど、、さいなら、さいならですよね
ところが違うんです。
どこの町にもお茶屋さんも蕎麦屋は残ってます。
これって日本人のDNAですかね~


ある蕎麦屋の大旦那さんから聞いた話ですが
昔々、蕎麦屋は町の寄り合い所の側面があった時代。
1丁目とか2丁目とかない時代です。
蕎麦屋でなくとも旨いお酒を出す店は町にとって自慢の一つ。
もし粗末な酒を出そうものなら町の重鎮たちに新たな店を誘致されたそうです。
こわいですね~ふしぎですね~さいなら、さいなら~(笑)


ps

僕が知ってる発展してる町には
必ず三軒の商売がある。
それは古本屋、スポーツ用品店、カバン&帽子屋
古本屋さんは物価が安くないと成り立たない町
スポーツ用品店は子供がいないと成り立たない町
カバンとか帽子は紳士がいないと成り立たない町
これが循環できてこそ良い街じゃないかと思うのです。


親心
2020.05.04
1964年10月オリンピック開催
ある日TV全局がオリンピック一色となった。
大好きな大好きなアニメ「鉄人28号」が見れなくなった。
番組表や時計の見方を知らなくても絶対に見逃すことはないのに・・・。
ボクにとっての東京オリンピック=鉄人28号行方不明事件です
そして同じ時期の重大事件がお菓子屋から蕎麦屋への引っ越しです。
TVは蕎麦屋の店内に鎮座されお客様になりました。
茶の間TVは1966年1月放送ウルトラQを熱狂して見た覚えがありますから
1年間商売を頑張ったご褒美だったのかもしれません。

そもそもなぜ両親は商売換えを考え実行できたんでしょうか?
両親は東長崎駅前の市場の一角で菓子業営んでました。
市場には魚屋、肉屋、味噌屋、八百屋があってそれぞれの個人商店が集まって商売に励んでます。
両親の菓子業は当時では当たり前の量り売りのお菓子屋です。
今現在ほとんどありません。イメージではこんな感じでした。https://tabelog.com/kanagawa/A1408/A140802/14052118/

あじろと言う小さな小さな煎餅(あじろ)をポッケいっぱい詰め込んで遊んだ方がずっと幸せ。
http://inasenbei.com
市場のおじちゃんおばちゃんがポッケにいいもの持ってるね~と言われ
あじろを一つ上げると頭をなでなでされるっていいもんです。
近所の子も遊んでやるからと言ってあじろをねだりました。
汚いポッケいっぱいの埃まみれのあじろが私の生命線だったようです。
それが蕎麦屋です。意見を言える立場だったら反対に一票かも~(笑)

理由は駅前に西友ストアができたからです。
量り売りお菓子屋ですからきれいに梱包されたお菓子が棚にずらっと並んだ光景を見て
ダメだこりゃと思ったに違いありません。
梱包されたチューインガムが一箱で20入りで特売日では2個万引されれば全部売ってもトントンの世界と言ってました。
つまり我が子にチューインガム一つ上げることができない商売はなんと辛いのか。
あじろで誤魔化せるのは学校行く前の幼い頃までだと~あ~親心です。
人は幸せになれるのか!
2020.05.01
人の歴史はウン千年・・。
この時間を考えると人は幸せになれない、いや拒否してる生き物でないかと思える。
それでも人は幸せを求めて少しずつでも創意工夫凝らしながら進んできたに違いないと信じたい。
そう考えると人の知恵だったり工夫だったりって何のためにあるんだろうと思う。
確かに多方面において便利にはなったし楽しみも増えた。
それが望んだ幸せか?人はなんと欲深い生き物だ。
あ~人は捻り出すものは二つしかない一つは知恵、もう一つは糞。
人の知恵など糞と同義となれば、幸せってなんとも儚いものになる。
幸せな気持ちや時間は誰にでも存在するしあるもの。

ボクの一番幸せだった時期はやはり小学校上がる前の豊島区長崎時代。
両親は東長崎駅前の昔ながらのスーパーでお菓子屋をやっていた時代が一番。
お菓子屋じゃ3人の子供を育てられないって下落合で蕎麦屋に転職
東長崎駅前は車ひとつは入れない駅前、西武鉄道が走る町並み。
駅前広場では月に一度縁日が開かれ、ポッケいっぱいには小さな煎餅を入れて沢山の友達がいた。

引っ越し環境が変わるって怖いことです。
ポッケ一杯あった煎餅はなくなるし友達もなくなる、周りからは余所者扱い。
家の前は車ビュンビュンと走る目白通り、電車はないし縁日もなくなる。
びっくりは半年一度、朝早く戦車が目の前走り抜けるんだ。
ゴジラ来た!と思い裏の4階建ての中島ビル外階段を駆け上って東京タワーを見て安心するんだ。

ある日学校帰りに近所の人が小学校のボクにこう言うのです。
うちは昔からの付き合いある蕎麦屋があるからあんたのところから取らないからね
きっと知らず知らずのうちに僕が挨拶していたためそんなこと言ったのかもしれませんね(笑)
昔気質の町でプライドの高い町ですから、オヤジは随分と苦労したと思います。
ただ、昔気質の町ですから一度お客様なっていただければ、ずっと助けていただけました。
オヤジも私も目白の町に育てられました。
少しキツイ土地でしたけど。

拘りを持つことは二つだけです、それは仕事と嫁さん、これさえ守れば幸せになれると思う。
テスト
2020.04.25
テスト

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