DNA
2020.05.05
菓子業から蕎麦屋へのキッカケは駅前の西友ストア。
今や町にスーパーマーケットがなければ町として成り立ちません。
昔はどうでしょう~?
電気事情も今とはずいぶんと違います。
冷蔵庫も家庭に普及してません。
となれば町の知恵として近所に多くの店を持つことです。
私が小学校5年の時、1970年下落合にピーコックストアが初のスーパーマーケットが出店した。

ピーコックストア前の信号から聖母病院入り口前の信号の3つ分の信号約600メートルほどの間に。
八百屋さんが8軒、お肉屋さん6軒、町の市場のマーケットが二つ。
活気あふれる町でした。
その後、土地バブルの影響もあったとは思うけど全ての個人商店がほとんが廃業しました。
あっという間でした。
今では新たに大きなスーパーマーケットができ、コンビニが2軒なったり3軒なったり。
買い物には一度も不自由したことがありません。
ただ蕎麦屋にとっては目利きある八百屋さんがなくなったのが痛かった。

スーパーマーケットの効率的な商売を鑑みれば個人商店など太刀打ちなどできません。
ところがお茶屋さん、
スーパーの棚の1列ほど使ってるんでしょうか・・?
その上下棚には珈琲や紅茶を扱ってます。
普通に考えれば、スーパーのたった一列棚に一家族の生活が掛かる商売って・・・。
淀川長治じゃないけど、、さいなら、さいならですよね
ところが違うんです。
どこの町にもお茶屋さんも蕎麦屋は残ってます。
これって日本人のDNAですかね~


ある蕎麦屋の大旦那さんから聞いた話ですが
昔々、蕎麦屋は町の寄り合い所の側面があった時代。
1丁目とか2丁目とかない時代です。
蕎麦屋でなくとも旨いお酒を出す店は町にとって自慢の一つ。
もし粗末な酒を出そうものなら町の重鎮たちに新たな店を誘致されたそうです。
こわいですね~ふしぎですね~さいなら、さいなら~(笑)


ps

僕が知ってる発展してる町には
必ず三軒の商売がある。
それは古本屋、スポーツ用品店、カバン&帽子屋
古本屋さんは物価が安くないと成り立たない町
スポーツ用品店は子供がいないと成り立たない町
カバンとか帽子は紳士がいないと成り立たない町
これが循環できてこそ良い街じゃないかと思うのです。


親心
2020.05.04
1964年10月オリンピック開催
ある日TV全局がオリンピック一色となった。
大好きな大好きなアニメ「鉄人28号」が見れなくなった。
番組表や時計の見方を知らなくても絶対に見逃すことはないのに・・・。
ボクにとっての東京オリンピック=鉄人28号行方不明事件です
そして同じ時期の重大事件がお菓子屋から蕎麦屋への引っ越しです。
TVは蕎麦屋の店内に鎮座されお客様になりました。
茶の間TVは1966年1月放送ウルトラQを熱狂して見た覚えがありますから
1年間商売を頑張ったご褒美だったのかもしれません。

そもそもなぜ両親は商売換えを考え実行できたんでしょうか?
両親は東長崎駅前の市場の一角で菓子業営んでました。
市場には魚屋、肉屋、味噌屋、八百屋があってそれぞれの個人商店が集まって商売に励んでます。
両親の菓子業は当時では当たり前の量り売りのお菓子屋です。
今現在ほとんどありません。イメージではこんな感じでした。https://tabelog.com/kanagawa/A1408/A140802/14052118/

あじろと言う小さな小さな煎餅(あじろ)をポッケいっぱい詰め込んで遊んだ方がずっと幸せ。
http://inasenbei.com
市場のおじちゃんおばちゃんがポッケにいいもの持ってるね~と言われ
あじろを一つ上げると頭をなでなでされるっていいもんです。
近所の子も遊んでやるからと言ってあじろをねだりました。
汚いポッケいっぱいの埃まみれのあじろが私の生命線だったようです。
それが蕎麦屋です。意見を言える立場だったら反対に一票かも~(笑)

理由は駅前に西友ストアができたからです。
量り売りお菓子屋ですからきれいに梱包されたお菓子が棚にずらっと並んだ光景を見て
ダメだこりゃと思ったに違いありません。
梱包されたチューインガムが一箱で20入りで特売日では2個万引されれば全部売ってもトントンの世界と言ってました。
つまり我が子にチューインガム一つ上げることができない商売はなんと辛いのか。
あじろで誤魔化せるのは学校行く前の幼い頃までだと~あ~親心です。
人は幸せになれるのか!
2020.05.01
人の歴史はウン千年・・。
この時間を考えると人は幸せになれない、いや拒否してる生き物でないかと思える。
それでも人は幸せを求めて少しずつでも創意工夫凝らしながら進んできたに違いないと信じたい。
そう考えると人の知恵だったり工夫だったりって何のためにあるんだろうと思う。
確かに多方面において便利にはなったし楽しみも増えた。
それが望んだ幸せか?人はなんと欲深い生き物だ。
あ~人は捻り出すものは二つしかない一つは知恵、もう一つは糞。
人の知恵など糞と同義となれば、幸せってなんとも儚いものになる。
幸せな気持ちや時間は誰にでも存在するしあるもの。

ボクの一番幸せだった時期はやはり小学校上がる前の豊島区長崎時代。
両親は東長崎駅前の昔ながらのスーパーでお菓子屋をやっていた時代が一番。
お菓子屋じゃ3人の子供を育てられないって下落合で蕎麦屋に転職
東長崎駅前は車ひとつは入れない駅前、西武鉄道が走る町並み。
駅前広場では月に一度縁日が開かれ、ポッケいっぱいには小さな煎餅を入れて沢山の友達がいた。

引っ越し環境が変わるって怖いことです。
ポッケ一杯あった煎餅はなくなるし友達もなくなる、周りからは余所者扱い。
家の前は車ビュンビュンと走る目白通り、電車はないし縁日もなくなる。
びっくりは半年一度、朝早く戦車が目の前走り抜けるんだ。
ゴジラ来た!と思い裏の4階建ての中島ビル外階段を駆け上って東京タワーを見て安心するんだ。

ある日学校帰りに近所の人が小学校のボクにこう言うのです。
うちは昔からの付き合いある蕎麦屋があるからあんたのところから取らないからね
きっと知らず知らずのうちに僕が挨拶していたためそんなこと言ったのかもしれませんね(笑)
昔気質の町でプライドの高い町ですから、オヤジは随分と苦労したと思います。
ただ、昔気質の町ですから一度お客様なっていただければ、ずっと助けていただけました。
オヤジも私も目白の町に育てられました。
少しキツイ土地でしたけど。

拘りを持つことは二つだけです、それは仕事と嫁さん、これさえ守れば幸せになれると思う。

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