エピソード1
漫画について
漫画は子供が読む事が大前提である。これは大人が読むな!ということではなく、子供のお小遣いで買えるべし、ということである。
漫画家として、子供のお小遣いで生計を立てていた事、つまり、その時代の恩義を感じ、本の価格は1000円以内であるべし!!
今、流行の限定本などはもっての外、子供時代に摂取し、大人になったファンから、法外な価格の本を売る姿勢は許せない。
エピソード2
漫画とは、作者と読者と編集の三位一体である。
どこかひとつでも突出したり、迎合した場合は残念な結果に結果となる。
出版社の口出しとは売らんがために作者に妥協を求める。
作者の突出は読者無視の傾向になる。ここ最近は多く見られる
読者の突出した意見は出版社の口出しに反映され、雑誌&マンガの方向性さえも変えてしまう、
これはファン心理で他の作家及び作品について認めたがらないことから、同じ様な作品形態を求める、
そこでケンカが重要になる。
何故ケンカが必要か?
マンガ市場は巨大だが、現場となると作家ひとり、編集者ひとり、ふたりの世界だ、
考えてみると巨大市場をたったふたりで支え、
しかも一部の濃いファンの手紙などの意見が加わることもあるのだから、なんとも怖い話だ。
そんな特殊な環境の中では作家も編集者もケンカのひとつくらい望む気持ちがなければ、よい作品は生まれない。
ところが、今時の編集者も作家も、仕事として割りきってしまう。
その辺りが小澤氏の悲しみであり、悲しい現実になってしまう。
現実に私は何回も編集者とケンカ腰の話し合いを目撃し、それは昔から変わらないらしい
そんなケンカ腰の話し合いから小澤氏の人生への苦言も当然飛び出してくる。
光文社の少年の編集者>門脇耕造さんのお言葉
「お前は冷やかしてマンガを描いている」
「未に見ろ!!の思いで仕事に取り組んでいると死ぬまで、未に見ろ!!で終わってしまうぞ!」
と叱られた経験があるそうです。
今では考えられない関係だが、この様な関係があったからこそ707は夢の作品になったのではないか。
ケンカのない作品は妥協の産物でしかないし、読者=子供にとって不幸である。
エピソード3
小沢作品はスクリーントーンは使ってはいない。
また、『黄色い零戦』では擬音がない。
零戦の音はどのようにして読者に伝えれ事ができるのか!
紙面に表現できない!!
音や幼い記憶を人に伝えることは非常に難しい、
これは幼いころに読んだ707の感動を伝える難しさに似てる。
難しい事ならまた伝わらないなら、心で感じればいいのではないか!
敢えてオーバーな表現を使わない、いや使いたくない。
黄色い零戦のあとがきで擬音を使ってないことを初めて知って驚き、ページも捲った読者も少なくないだろう
『黄色い零戦』は小澤氏自身の心の中の表現であった、
心にふれる作品だからこそ、読者にも零戦の音が聞こえただろう。
エピソード4
GRについて
サブマリン707、青の6号は小澤氏の代表作になる。
余り知られてはないがGR(ジャイアント・ロボ)という作品もある。
40過ぎの親父たちはGRの名前だけは知ってるのではないだろうか
また若い世代ではOVA版のGRで知ってるかもしれない
一般的にはGR作品の作者は横山光輝になっています。
ところが連載開始は小沢さとる作品であった。
そしてGR作品のために小沢氏は横山氏のアシスタントだと認識している人もいる。
横山氏が多忙により、GRを光プロからの依頼という形で連載されたのだが、構成は全て小沢氏が考えたのである。
横山氏はGRの依頼の際に光プロの専属アシスタントとして小澤氏に依頼したらしい。
小澤氏にとっては横山氏の依頼はひとりの漫画家として認める。聞く事はできなかった。
残念な選択となるのだが、GRを降板するしかなかった。
その時から横山と小沢の関係修復はなされていない。
そして名作のGRは未だにコミックとして発行されずにいる。
小沢氏本人はGRの版権を横山に全て帰属する。という手紙を出したらしいがこの行為が逆に横山氏がGRを出さないわけかも・・・
小沢氏にすれば読者ために思っての事だと思うのだが・・・
お互いにお金が困っているわけでもない
意地の張り合いがこれからもGRと共に続くのであれば、悲しいGRの荷を早く降ろして欲しい、
一時代を同じ生き方をしたもの同士ここらで仲良くしてほしい・・・
そして早く私たちにGRを読ませてほしいと切に願う。
エピソード5
昭和40年、新書マンガ(コミック)が誕生した。
講談社(KC)小学館(GC)などより、サンデーコミック(秋田)がダントツに面白かった。
まだまだ、大手出版社はマンガというジャンルを軽視しており、
多くの漫画家たちは秋田のサンデーコミックの出版を快く思っていた。
理由として
・マガジン(KC)、サンデー(GC)は再版はほとんどされない。
・秋田だけ500部から再販をした。
新書コミックの誕生前は残すという考えは出版社も作家も無かった。
残す行為、考えはマンガ世界において黒船だった。
原稿の残し方も今から考えるとかなりズサンであるし、コミック発売で原稿は切られズタズタになる。
そして絵の質、ストリーを求められることになる。
雑誌の紙質とコミックの紙質とでは雲泥の差かある、そして続けて読むことが可能になりいい加減な話作りは許されなくなる。
当然な結果であるが作家が1枚に掛かる時間も多くなり、出版社もひとりの作家に依頼する量を抑えることになる。
そして分業制が生まれた。
プロダクション、原作者、などなど
月産300ページを産む為に・・
しかしながら、小澤氏、横山氏のあの時代の月産300ページは今では夢なんだろう〜〜
心から感謝したい
エピソード6
小沢氏は昭和11年生まれ。
小沢氏とマンガとの出合いは高校生の時、18歳であるなら、昭和29年になる。
最初の頃は百科辞典等のアルバイトから始まった
サッカー部の先輩が絵が描けるならと手塚氏の前に連れて行き、
小沢氏が参加したことから、漫画家小沢さとるの誕生となる
マンガの神様手塚治虫氏が小澤氏の先生になるはずだったのだが・・・・・
絵が描ける、しかし、小澤氏は漫画家に対して良い印象を持っていなかった。
これは未だに他の漫画家との付合いがないことがある意味で面白い現実である
これは小澤氏の父上の影響が過分にあるのだろう
小沢家はかなり裕福な家庭で、父上は厳格で理工系の技術者であった。
そのような家庭で漫画家という職業などが許される訳などない。
しかし、何故漫画家になってしまったのか?
父上の反発か?それは考え難い。言葉の端はしに父上の尊敬の言葉が滲んでいる。
マンガの手伝い、そのアルバイトの金銭(700円)がかなりいいこともひとつの理由であろう、
小澤氏の性格において推測するなら
夢を残すと作業に魅力を感じたはずである。
ところが父上の夢も捨てる事はなかった。
漫画家小沢さとるという人生とサラリーマン小澤さとるという人生があったらしい、
小沢さとるから小澤さとるへの改名こそが漫画家小澤さとるの誕生とも言えるだろう
小澤さとるの代表作は「黄色い零戦」であり、父上の夢、想い、全てが含まれている作品だ。
夢
夢という言葉は、「使う」 「聞く」 「語る」・・・しかし夢ってなんだろう??
私たちが使う夢は『希望』という言葉に近い
夢の定義?って何?・・・
夢とは可能性である、
一般的に『夢』を追い駆けるのは難しいし、少数だ。
自分の可能性を信じる、相手の可能性を信じることが大事だ!
ところが、よく何気なく使う言葉で「あの人はもう終わった!」となど云ってしまうことがあるが、これほどひどい話はない
もちろん死んだわけでもないし、殺したわけでもない
これは才能などを指し、人の可能性を否定しているものである。
当り前のことだが人は生きている限り、可能性を秘めているもの。
ではなぜ?「あの人は終わった!」と表現し、また、夢を持たない人ほど使うことが多いのか!
人の夢(可能性)を信じなくなると必ず損か得か損得勘定に走ります。
損得勘定とは自己中心的な考えで、相手の可能性より自分の立場を考える、
大方の意見に同調し、安全な立場を確保し、安直な発言&行動になり、夢は置き去りになる
そして一番の危険は夢(可能性)に対して「排除」という考えに繋がる。
損であれば「排除」、弱い者であれば「排除」、気に入らなければ「排除」
自分と同じ考え方、立場、の人だけが「得」になるのでなかろうか!!?
これが今の子供たちに同じ方向性に向かわせている原因ではないだろうか?
人それぞれなら夢もそれぞれ全ての可能性を信じよう
目白
目白という言葉はアイヌ語でメシロと言い、静かな場所という意味があるらしい。
東京の中で落着いた場所、目白に住むことがアイデアも生まれるそうです。
太陽マークは小澤先生の印で、アイヌやインデオの影響があるようです
小澤先生の夢のひとつ、世界中の太陽に関係したマークを集める旅をすること、
太陽に関しては世界中に必ず言葉として存在しまた悪い表現を意味する言葉として使われたことはない
旗
旗つまり、日本国旗
日本人の国旗意識はなんと貧弱であろう。
ここ数年の自衛隊海外進出
何故、軍用機に迷彩色に日の丸をなのだ。
アジアの人々が迷彩色に日の丸を見て、どのような気持ちになるのだろうか?
隣国の気持ちを考えなく、平和を願う事は平和的侵略といえるのではないだろうか
戦争目的でなく、軍用機の進出をするならば真っ白に塗装をし、戦争の意思はないと相手国に示さなくてはいけない
国旗を愛する心が全く無い。
日の丸が戦争をしたわけではない。そこにあるのは日の丸を愛する心がないだけである。
日の丸を愛する人々はいる。誇りに思っている人はいる。
しかし、迷彩色に日の丸では相手国、そして日の丸を愛する人々の侮辱ではないだろうか・・
国は旗をどのように思っているのか
太平洋戦争が終わった時、アメリカはどのように日本に進駐してきたか
短期間に進駐軍の配備をするために飛行機が滑走路に着くと滑走路を空ける為にブルドザーで隅に飛行機の残骸(墓場)をつくったのである。
もちろんアメリカ国旗はなかったそうです。
彼らは日本人を心の底から畏敬していた。
服装は真っ白なヘルメット、真っ赤なマフラー、大男がそのような姿をすれば、小さな日本人は赤鬼が来たの一声である。
ひとつの行動でさえ、計算するアメリカ、未だに計算できない日本・・・
堀越二郎
零戦の設計者として名前が知られています。
黄色い零戦の主人公です。
小沢先生のお父上とも親交がありました。
先生のお父上は燃料の専門分野で活躍されてました>燃料の研究は世界初、
そのような背景の中でエムエム三太のエムエムマシンは堀越スケッチブックからのパクリであったり、黄色い零戦を手掛けた。
そして黄色い零戦は技術屋たちの鎮魂歌でありオマージュです。
小澤氏から衒いもなく、何故エムエムマシンは堀越二郎の作品だと言ったのでしょうか?
堀越二郎は零戦の設計をしましたが、時代が違えばエムエムマシンや200人乗りの飛行機の設計をしてたことでしょう
まして堀越二郎は飛行機の設計者でありながら、飛行機を操縦できなかった人です。
根っからの技術屋が戦争の道具(零戦)を作り、零戦がなければ海軍がアメリカと戦争を踏みきらなかった事実。
そして、沖縄以降 零戦は若者を乗せ、帰らぬ旅に・・・
堀越二郎、技術家たちはどのようにその光景を見たのか
堀越二郎は勲等などは一切もらわなかったそうです。
ヤマト
大和といえば戦艦ですが、ヤマトといえば宇宙戦艦ヤマトになるでしょうか
宇宙船艦ヤマトは松本零士先生の作品です。
アニメの構想段階では小沢先生にヤマトの依頼があったそうです。
しかし、小沢先生は断りました。断りの経緯がまさに小沢さとるの生き方でした。
アニメ設定で譲れない設定がいくつかあり、それは女性と印籠でした。
アニメとはいえ、女性が戦争に入る設定が、男の定義からあかんそうです。
これは女性蔑視でなくて、逆に尊敬の念です。そういえば、707も女性がいなかった。
女性は歴史の継承者で、子供を作る力を与えられ、男は代わりに拳を与えられた。
その拳を女性に向けては絶対にならない
小沢先生はお父上の教えで未だにトイレの掃除は男がやるもので、実際にやっているそうです。
女性の手はおいしい料理を作る手で、その同じ手でトイレ掃除をやり、料理を作らせるわけにはいかない。
小沢漫画は先生の父上のオマージュです。
印籠とは波動砲です。
最後に印籠で解決した漫画では面白味がなく宇宙という舞台で敵などがいなくても、宇宙という素晴らしい敵がいる
小澤ヤマトを見たかった。
横山VS小澤マンガ
マンガとは絵と文から成り立っています。
横山マンガの特徴は、文の天才といえるでしょう
吹き出しの妙で話を組み立て、文で物語のスピード感を出す作家です。
三国志が描けるのは文の組み立てが上手く、吉川栄治の三国志と別物として成り立つのでしょう。
横山は文の漫画家です。絵と設定という分野は弱いです。
設定とは何か?
黒澤映画において
「7人の侍」を作る時に黒澤はひとり一人の人物設定を細かく設定し、映画に直接は関係してるのは、5%くらいでしょうが
無意味と思える95%の設定、人、場所、時代、の設定を考えて「7人の侍」を作っています。
ところが横山マンガは設定を完全に省き、物語を完成する技は横山氏の偉大なところです
小澤氏は父上の影響から、707も潜水艦の構造と設定から、話を作っていきます。
潜水艦の性能で120メートル以上は潜航ができないのなら、120メートル以上の深度になったら、707はどうなるか?
何でもアリではなく、話に制約を持たせ、作品を作っていきます。
横山作品は物語を重視するため、鉄人の構造の設定からの物語は作りません
曲がりそうにも無い鉄人の顔が曲がってみたり、水中の鉄人、潜水艦が陸を走っているようなものです。
小澤マンガでは考えられないことです。
主人公の設定を抜きに物語を作る横山、主人公の設定から話を作ろうとする小澤、
この二人は師弟関係というより、水と油です。
断じて小澤は横山のアシスタントではないと宣言します。
アシスタント/マスダさん
海底戦隊の頃、小沢先生と出会いました。
彼は自衛隊員で、横浜で出会ったそうです。
小沢先生と出会いは、その日、マスダさんは艦船の当直で横浜の街の灯を見ながら、思わず海に飛び込んだ時から物語が始まります。
びしょ濡れになりながら、根岸で女と飲むはずが小沢先生と一晩中飲み明かしてしまったのです。
8時過ぎに二人で桟橋に行った時には、マスダさんの艦船は出航した後でした。
その後、大笑いしながら小沢先生の家に泊まったそうです。その時初めて小沢先生が漫画家だという事を知り、
今は自衛隊員だが、漫画家を目指していたと打ち明け、そのまま小沢先生のアシスタントになったのです。
自衛隊員として彼は非常に有望でUSAでの留学から幹部候補生で、小沢アシスタントになることは、男が男に惚れたのでしょうか!
彼は180センチ以上の大男で、小沢先生の用心棒でもありました。
サブマリン707の逸話としてマスダさんの話は欠かすことが出来ません。
サブマリン707の絵はマスダさんが手掛けました。
サブマリン707は小沢先生にとって初めて週刊誌の連載です。
週刊誌に連載することは
戦争に例えれば小さな日本国がアメリカに仕掛けるようなもので、マスダさんがいなければ週刊誌の戦場に挑まなかったそうです。
マスダさんと云う、ゼロ戦があったからこそ週刊誌の連載が出来たのでしょう
つまり、小沢先生とマスダさんの関係は藤子不二雄です。
そして性格的に気の合った友で、、サブマリン707の頃
「いいから小沢ちゃん、遊んで来なよ」 とマスダさんは先生を追い出したそうです。
小沢先生にとって一番幸せな時期かも知れません。
707の連載中、不慮の事故により、右手を失い、小沢先生と別れなくてはなりません
一番悲しかったのは、マスダさんでしょう
今でも悲しいのは小沢先生だと思います。
707の絵はマスダさんの絵で、青の6号は小沢先生の絵です。
私は、小沢先生とマスダさんの物語は好きです。
小沢先生もマスダさんのことがとても好きだから、707は自分の絵ではないことを誇りに思って話してくれました。
これだけ、707ファンがいるのに、あれは自分の絵ではないと言うのはとても勇気がいる事です。
そして小沢先生にとっても一番に青春の思い出だと思います。
今では、マスダさんが天国から、
「小沢ちゃん707は小沢ちゃんの作品だから、だれだれが描いたなんて云わないでおくれよ 」
と聞こえます。
できたら、マスダさんの写真を見てみたいです
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。