増田眞吾さんに感謝を込めて



増田さんの『ボナンザ』をみなさんに読んで頂きたくサイトUPしました。
すでに増田さんはお亡くなりになっています。
しかし、小澤先生の心の中ではしっかり、深く、生きております。
ボクたちも増田さんのことは忘れません。

天国の増田さんへ、
勝手にサイトUPしたこと、笑って許してください。

では、はじまり、はじまり・・・

資料提供: なつ漫太郎様

アシスタント/増田さん

海底戦隊の頃、
彼は自衛隊員で、横浜で小澤先生と出会いました。
小沢先生と出会いは、その日、増田さんは艦船の当直で横浜の街の灯を見ながら、思わず海に飛び込んだ時から物語が始まります。
びしょ濡れになりながら、根岸あたりで女と飲むはずが小沢先生と一晩中飲み明かしてしまったのです。
8時過ぎに二人で桟橋に行った時には、増田さんの船は出航した後でした。
その後、大笑いしながら小沢先生の家に泊まったそうです。
その時初めて小沢先生が漫画家だという事を知ったのです、
今は自衛隊員だが、昔は漫画家を目指していたと打ち明け、そのまま小沢先生のアシスタントになったのです。
自衛隊員として彼は非常に有望でUSAでの留学からはじまり有望な幹部候補生でした、
小沢先生のアシスタントになることは、男が男に惚れたと言うことでしょうか!
彼は180センチ以上の大男で、小沢先生の用心棒としてコワイ編集者たちからも大いに守ったそうです。(笑)

サブマリン707の逸話として増田さんの話は欠かすことが出来ません。
サブマリン707の絵は増田さんが手掛けました。
サブマリン707は小沢先生にとって初めて週刊誌の連載です。
週刊誌に連載することは
戦争に例えれば小さな日本国がアメリカに仕掛けるようなもので、
もし増田さんがいなければ週刊誌の戦場に挑まなかったそうです。
つまり、増田さんという、ゼロ戦(秘密兵器)があったからこそ週刊誌の連載ができました。

小沢先生と増田さんの関係は藤子不二雄です。
そして性格的に気の合った友です。
サブマリン707の頃
「いいから小沢ちゃん、遊んで来なよ」 とマスダさんは先生を追い出したそうです。
小沢先生にとって一番幸せな時だったかも知れません。

707の連載中、不慮の事故により、右手を失い、小沢先生と別れなくてはなりません
一番悲しかったのは、増田さんでしょう
今でも悲しいのは小沢先生だと思います。

707の絵は増田さんの絵、青の6号は小沢先生の絵です。

私は、小沢先生とマスダさんの物語は好きです。
小沢先生も増田さんのことがとても好きだからこそ、707は自分の絵ではないことを誇りに思って話してくれました。
これだけ、707ファンがいるのに、あれは自分の絵ではないと言うのはとても勇気がいる事です。

今では、マスダさんが天国から、
「小沢ちゃん707は小沢ちゃんの作品だから、だれだれが描いたなんて云わないでおくれよ 」
と聞こえます。


小澤先生と増田さんの青春物語>いつも青春/がむしゃら4000キロ
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