DREAM−CARについての先生の談話

18才当時の稚拙な思い出の一ツです。

  当時、作図はボクにとって小遣い稼ぎの掛替えのない手段でしたが、その延長線上で、モーターファン誌
に投稿したが(賞金狙いで)このDREAM−CARの図面です。
結局、賞金は手に入らず終いでした。

  あの頃は16才になると運転免許の受験資格を認められ、父親の乗っていた1938年式のダットサンで、
父の特訓を受けて、免許取得しましたが、
あの時代、15才になると、当然の様に労働力として一人前とされ、
大人から酒・タバコをすすめられたものでした。
当時の15才は猫の手以上の期待を負わされていたと思います。

ボクも池袋、所沢間を、プリンスのピックアップで映画館のフィルムを運ぶアルバイトしていましたが、
”袋”の小屋(映画館のことで=人生座、弁天座等)では
映写技師に学生さん学生さん(絶対に坊やとは呼ばれなかった)と
もてはやされて、酒タバコを振るまわれたものです。
タバコは嫌いましたが、焼酒はけっこう飲みましたよ。
帰りの道中で酔いがまわって流川の堤防下に車ごと落ちたこともあったね。
そんなことを思い出させるのが
DREAM−CARの図面です。

あの頃は国道も県道も舗装路は殆んどなくて、文字通り”まな板道路”で運転しながら、唇を噛み切ったり、舌を
噛みそうになったりしたものです。
プリンスのボンネットの大きな”ふくらみ”が前方の視界を窮屈にしていて、
大きな穴にはまったり、路標をけとばしたりしたものです。

そこで、前方視界を有利に確保したい為に、キャビンを前に移して、リアエンヂンにしたら、
少しは運転が楽になるだろうと本気で考えて作図したものでした。
残念ながら、走行安全性、操舵感覚等の配慮はまるで為されていません。

技術屋指向の強かった当時のボクとしてはバカなDREAM−CARを考えたもんだと後に反省したのも思い出でした。