ウチの前のご主人、Kさんはかなり地元に詳しい。
そして、Kさんから聞く戦前の目白話はかなり楽しいし、興味深い。
で、今回のお題は目白橋。
『昭和初期までは目白橋はなく、踏切りで線路を渡っていた。』
この話、ものすごく興味が出ました。
目白駅は、ホームが通りより下にあります。>山手線では珍しい
もし,目白橋がなければ、わざわざ坂もしく階段を下り、線路を渡り文京区方面へ行かねばなりません。
ましてや荷車を押しての目白の急坂はかなりキツイと思います。
さて、いつものように検索(笑)
しかしながら、目白橋、中々出てきません。
目白橋と踏切が書かれてる記事がひとつだけありました。
http://diary3.cgiboy.com/0/2244/index.cgi?y=2004&m=5#4
記事に寄れば
「1927(昭和2)年生まれの父ははっきりと
「踏切」の存在の記憶があるそうです」
1924年(大正13)に学習院側から撮影された目白駅と地図
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2007-12-01
写真によれば、駅はすでに目白通りに面しています。
1919年(大正8年)11月 - 駅舎改築。全国初の橋上駅舎となる。
となると・・・
この不思議な階段は、駅舎改築まで使われてたことになります。
ちなみに、目白駅は1885年(明治18年)3月16日開業
ここまで書いているとKさんの目白橋が無かったと言うのは少々疑問に思います。
しかし、しかし・・
目白橋は2000年の駅舎改築するまで、目白通りと目白橋は別にありました。
目白橋は幅3メートルほどの歩行者専用の橋でした。
しかも、
500メートル先にある千登世橋は昭和7年(1932)の架橋で、橋の上を目白通が走っており、東京初の立体交差だという。
http://members.jcom.home.ne.jp/nobish/1223chitose.html
山手線はその昔、省線と言われていた。
鉄道省の省線である。
その時代は、電車でなく機関車が走っていたはず。
またまたウィキペディアを・・・
国有鉄道の車両の統一的な形式番号付与基準が初めて制定されたのは、1911年(明治44年)1月16日付達第20号によってである。このとき電車は、汽動車(蒸気動車)とともに、客車の一部として扱われている。
電車が電車として独自の形式番号体系を獲得するのは、1928年(昭和3年)5月17日付達第380号(同年10月1日施行)による称号規程改正時である。このときの称号規程が、以後、数回の改正を重ねながらも、現在につながる旧形電車の形式番号の基本となっている。
やはり、大正から昭和への時代に何かがあったはずです。
で、勝手に結論をば・・(笑)
幅3メートルほどの目白橋は、大正8年の駅改築ごろに作られたと思う。
自動車等が通れる幅の橋は、電車への完全移行、または千登世橋を考えると昭和3~7年頃と思われる。
どちらにせよ、いつか豊島区の図書館へ行ってみなくちゃね
ちなみに、ホームがメイン通りより下になる駅は商売には向かないそうです(大汗)
覚書きURL
目白駅の勘違い。 [気になる下落合]
「目白橋」デトニの家族で気まぐれ旅日記
山手線
鉄道省
目白駅
国鉄30系電車
国鉄旧形電車の車両形式
吊り掛け駆動方式

衣舞 | Commented : 2008/07/31 12:08 編集・削除
へぇ~へぇ~興味深いお話をありがとうございます。
あの階段はいつも不思議に思っていましたよ@@
そのKさんとは・・・もしや・・く・・
ちなみに目白図書館は9月末までは改築中だそうです。
私は今、新宿中央図書館へ出入りしております(笑